とあるボクサー界の重鎮のブログを読んで改めて訓練は何か?と考えました。
競技会で好成績を収める為の訓練なのか、愛犬として他人様に迷惑を掛けない為の訓練なのか?
服従の言葉を英語に変えると『Obedience』ですが、訓練は『Training』になります。
この違いはどこから発生したのか?
『Obedience』を英語圏の人は違う捉え方をするそうです。
日本で言う「服従」は軍隊用語で軍用犬を作る為に出てきた言葉ですので、上官に従うべきだ!になると思われます。
犬は飼い主(指導手)に従うべきだとの考えは人から見た犬への冒とくだとも感じています。
とは言っても僕は競技会の為に服従訓練をしています。
かといって服従訓練が飼い主(指導手)の競技会の為だとも思っていません。
実生活で「服従訓練のお陰で」って事は多々有るので助かってはいます。
そこで気になるのが脚側後進で犬がひたすら指導手を見つめているを見かけます。
競技会に出る立場としたは素晴らしい・カッコいい・それこそ脚側後進!と感じている時がありますが、犬とっては何でそこまで飼い主(指導手)を見つめているのか?
ボールが欲しいから?オヤツが欲しいから?
ボールもオヤツも無ければあなたは見つめる脚側は出来ないんですか?と昨今感じています。
語弊があるかと思いますが欲があれば脚側行進が出来るのかな?と。。。
妬みですが、グッシーが「次は何?」「ボール貰える?」「オヤツは何時?」って事が出来ないので、正直悔しいです。
競技会で好成績を取る為には必要な事でしょうが、人社会に必要なんだろうか?と。。。。
でも今の僕にとってグッシーと競技会で好成績を残したいですし、嘱託にも合格したい!
これって飼い主(指導手)のエゴなんだと思います。
グッシーが競技会で好成績や嘱託に受かりたいなんて思っていないと思います。
犬の気持ちを無視した訓練は必要なんだろうか?
って事を考えながら送る日々が楽しくて仕方がないんです。
犬を飼う人って、癒して欲しいだの、可愛いだの、一緒に何かをしたい!だのと人の欲求を満たしてくれる事を望んでいるだけで犬のことなんて考えていないんだろうな。
サイトハウンド系の犬が動く物を追っかけるのは自然だし、猟犬が獲物を獲ることは当然なんだし、グッシーが動く物に反応するのは仕方がないんだろう。
その中で自分の愛犬とどうすれば楽しい日々を送れるのか?
こんな事を考えると答えはないんだろうと思う。
答えは1つでなくて何万通りもあるんだから、自分のあった考え方を通すべきなんだろうな。
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